もし猫に生まれることがあるとしたら、わたしは武田家の「玉」になりたい。実際、玉と暮らした武田家の娘である武田花さんもそうおっしゃるのだから、それはもうしあわせな猫人生だったと想像する。作家武田泰淳、武田百合子夫妻とともに、富士の山荘で野原を闊歩し、赤坂の家で高級鮮魚店のアジやカマス、ヨード卵をなめる生活。食べに食べ、8キロにまで太ったのに19年病気もせずに生きたのだそうだ。薬で生き延びる現代の猫とは違い、好き勝手しながら楽しく暮らした結果の長生きであるから、選べることならわたしもそっちを選びたい。
コロナ・ブックスシリーズの「作家の猫」と「作家の猫2」はいつ見てもわたしをうっとりとさせる。まず、作家の存在に憧れ、その生活の中にどっしりと猫がいるということに憧れ、その猫たちのチャーミングさに若気る。作家と猫の関係が写真からだけでも伝わってきて、読まずに眺めて終わってしまう本なのだ。
このブログをはじめようと思ったのは、我が家の老いねこをテーマに本を作りたいと夢見たからなのだけど、それにはまず文章修業が必要だと感じた。駄文ではあるけれど、その駄文も週に一度、読み手を意識して書けば、上達していくのではないだろうかと考えたのだった。(悲しいかな今のところちっとも上達していない)今まで何度か文章修業をしたい、せねばと思ったことがあり、古本屋で「私の文章修業」という本を買ったこともある。その本がこの十年どこにあったかと言うと、恥ずかしながらベッド横の目覚まし時計の下である。見やすいように目覚まし時計の高さ調整として使われていた。版画家の池田満寿夫の装丁がきれいなのと、今では珍しいビニールカバーがかかっていて、ホコリに強そうなので選んだのだ。
久々に晴れた朝、掃除の途中にふと手にとって読んでみたら新鮮だった。そうそうたる顔ぶれが昭和53年「週刊朝日」に書いたエッセイで、わたしなどはやはり絵描きの文章に惹かれる。修業なんてしていないということを、そのひとらしい文体で書かれていると、「それならわたしにも書けるのでは?」と、その気にさせられてしまう。
武田百合子さんは立派に随筆家であったけれど、この本での肩書きは(故武田泰淳夫人)となっている。夫に日記を書いてみろと日記帳を渡されてしぶしぶ書き始めたから、遠慮というか、自覚がないというか、何かそんな心持ちだったのかな。わたしは、そんな百合子さんの文章が好きで、真似してみたいとおもっているけれど、天衣無縫は真似も修業も出来ない、天賦の才能なのだ。そう知りつつも、こうして今日も老いねこの近況そっちのけで、だらだらとどうでもいい文章を綴っている。わたしの文章修業は、こんな感じでのらりくらり続いていくようだ。