花子さん、おばあさんになる

人間年齢100歳の老いねこ日記

命名のセンス

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 上野のパンダの赤ちゃんのなまえを、わたしも考えてみようかとおもう。おもうのだけど、なにせ命名のセンスがない。わが愛猫の名前からしてそれは顕著である。けれど、かわいい白黒のいきものの名前をつけられるせっかくのチャンスである。チャレンジしない手はない。宝くじは買わなければ当たることはないし、公募は出さねば選ばれることはぜったいないのだ。

 ジャイアントパンダ。メス。カタカナ。

なにがいいかな。

 ミンミン。プリリン。ポポ。トンチー。ペペ。ツンツン。パーコ。

ん、パーコ?それは、わたしの中学時代のあだ名ではないか。あだ名がパー子だなんて、相当バカだったか、林家パー子に似ていたか。いずれにせよ命名のセンスがない。誰がつけたのか。それは、わたしである。自分で自分のあだ名をつけるとはどんな事情、心情だったのか。消えかけの思い出をたぐると、わたしはバカではなかった。むしろその逆で、勉強の出来る優等生だった。人見知りの転入生としては、セルフイメージをなんとか親しみやすいものにしたかったのだろう。天然パーマのパー子って呼んでね〜なんて、提案したのだった。呼ぶ方はためらっていた。わたしがバカではないことが徐々に知れると、さらにためらう友人たち。中学生のわたしってアホだなあ。そんなことまでして、自分のマジメを隠そうとしちゃって。隠さなくてもわたしは不マジメで、高校に入ると勉強もどんどん出来なくなっていくのだ。中学時代の命名が良くなかったのかもしれない。

  さて、パンダの名前どうしよう。モンモンはどうかしら。悶々。