金曜日の朝刊の訃報欄に金原まさ子さんのお名前を見つけた。以前、このブログで紹介した(ねこ俳句 その1 - 花子さん、おばあさんになる)あのまさ子さんだ。
まさ子さん曰く「俳人」と呼ばれるのは、『きゃあ、と言って逃げ出したくなる。ほかに呼び方はないでしょうか?たとえば、「ハイクツクリ」とか』と、書いておられたけれど、しっかり「俳人」になってますよー。
まさ子さんのような耽美な俳句をつくることは、わたしには出来そうもないけれど、まさ子さんのエッセイを読んでいて、ニヤリと反応するその感覚は自分と遠くない。わたしにもまだ何かあるのではないかと期待している。
かなり大先輩のマダムの似顔絵を描いて、編集者から「先生がほうれい線をとってほしいとのことなので、すみませんがとってもらえますか」と言われたことがある。言われるがままとると30代くらいにしか見えなくなってしまう。どこか他に何かを足さないと似顔絵として成立しない。まったく困ったものだとおもった。けれど、今はそのお気持ちがわかるようになりました。↑上の絵も描いたほうれい線を消しました。ふふふ。
今回は、まさ子さんを偲んで「ふふふ」な俳句や文章を
いくつか勝手にご紹介します。
『ひる逢ふ紅はうすくさし』
恋人のもとへと行ってしまい家を出ていった「夫」との逢い引き。
『家に帰ってこないから、外で、昼に「逢い引きです。
むこうから見たら、こっちが、浮気相手になってしまった』
『山羊の匂いの白い毛布のような性』
『赤いところで氷いちごは悲しんで』
『わが足のああ堪えがたき美味われは蛸』
『いま、夢中なのは、栗原類さんとピースの又吉直樹さん。わたしが好きなのは、まず、お二人の眼の美しさ。大きな黒い瞳と、そのまわりの白目の部分がすきとおるように澄んでいて、森のなかのしずかな湖のようです。
テレビのなかの人でありながら、いつも醒めていて、自分の内側を見つめている眼です』
『又吉さん、この方の、気づかいしすぎる内面に、わたしは大笑いしながら涙が出る思いです。厚かましいのですが、わたしと似ているかもと思ってしまい…』
『いま、日本人でいちばん美しい男性は、市川海老蔵、海老さまではないでしょうか。顔立ちといい、プロポーションといい、非の打ち所がない。
性格が、また役者らしくて良いのです。 悪くて、純情で』
『わたしは、ワイドショー的フマジメ人間ですから、事件も、噂話も大好物』
『けれど現実は、どなたにもどのお家にも、不道徳なこと、不名誉なこと、いろいろあってあたりまえ(わたしにもいろいろありました)。いいじゃないですか。
わたし自身、現実生活においては、きれいごとや建前をだいじにすること人後に落ちない。歴としたマジメ人間の顔ももっています。
けれど、自分が根っから善良な人ではないことぐらい、わかっていますから。
恥ずかしいことをした人を、軽蔑はしません。
イヤなことをする人も、たいがいは許せます。
おもしろがってしまうことが、できれば』
『わたしがいま、こうしているのは、わたしの生命プログラムが終了していないというだけのことなのでしょう。
これまで、たまわった命を大切にという自覚もなく、ただ、単純にさまざまなことを不思議がり、おもしろがって生きて来たように思います』
『春風が耳打ち「ヒトハイキカエル」』
『あら、もう102歳』より抜粋