花子さん、おばあさんになる

人間年齢88歳の老いねこ日記

トラ子ロス

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 愛人猫トラ子の姿がもう2週間近く見えない。最後に会ったのは台風の前だった。遠くから鳴きながら走ってきて、いつも通り贅沢にシーバをガツガツ食べた。後ろ姿があまりに痩せていたので、嫌かもしれないなとおもったけど、腰のあたりをなでた。「痩せたねえトラちゃん、しっかりね」。あれは、わたしの野生の勘、虫の知らせだったのか。

 台風の夜をどんなふうに過ごしたのか、わたしは知らない。台風のあとの数日、なんだかんだと忙しなく過ごしていてトラ子のいる丘に行かなかった。やっと時間が出来て出かけたらいなかったのだ。時々姿が見えないときもあったけれど、翌日行くといつも通り、にゃ〜っと鳴きながら出てきた。今度もそうだろう、いや、そうであってほしい。そう望みをかけて通う。でも本心は、今回だけはもう会えないのかもしれないと思っている。空振りだろうと思いながらも出かけているのだ。

  「ひよっこ」も「やすらぎの郷」も終わってなんだか淋しい秋だけど、それよりも今のわたしは「トラ子ロス」である。散歩の理由が突然なくなってしまったのだ。もう7、8年続いていたのに。仕事が乗ってきて散歩に行くのをためらうときも、小雨が降って出かけたくない冬の午後も、トラ子のことが気がかりで支度をして外に出た。

 

  トラ子に避妊手術をしてやったという赤い口紅のマダムなら、事情を知っているかもしれないと思って時間帯をずらして行ってみたけれど、会えない。もしかしたら、あのおばさまが弱ったトラ子を猫屋敷に連れていって、他の猫たちと一緒に面倒を見てくれているのかもしれない。きっとそうだ、きっときっと。

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  でも、わたしは思い出した。飼い猫ではない、愛人猫の最期を見届けることができない淋しさを。見届けないから、どこかで生きているのではないかと諦めきれないモヤモヤしたきもち。さよならが出来ないまま、お別れするのが愛人猫なのね。

 

また明日もわたしは出かけてしまうのだろう。空振りでもいい。

 

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 トラ子の丘にきれいな黄色の菊が咲いていた。

 

 

 

ペットショップへいくまえに展

 

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 前回お知らせした、西荻窪ウレシカさんでの企画展「ペットショップへいくまえに展」が始まりました。小さめのネコの絵4点を出してます。わたし自身はまだ行けてないのですが、ネコの絵がお待ちしています。

 うちの花子さんも保護ネコですし、今までペットショップで買ったのは、幼稚園生のとき、お年玉で買った文鳥くらいなもので、あとはたまたま一緒に暮らすことになったいきものばかりです。犬も好きなのですが、住宅事情が一緒に暮らすことを許してくれないので、なんとなくネコ派です。わたしの描く犬に思い入れがない!と友人たちは笑いますが、そんなことないです。親戚の家で飼ってた柴犬のジローのことは、今思い出してもウルウルしちゃう。

 犬や猫が気の毒な目にあっているというニュースを見るのが、水爆実験のニュースを見るより腹が立ちます。金正恩のほうが恐ろしいとはわかっていても、動物虐待の犯人がメラメラと憎い。そんな情けない動物好きです。甘いなあ。

 まあ、そういう社会派の展覧会ではまったくなくて、参加者の方々もみなさん動物好きなので愛情たっぷりの絵が見られるのではないでしょうか。(と、想像で申し上げてます)お近くに行かれることがあったら是非のぞいてみてくださいね。

 

 ということで、今日はたよりな〜い宣伝だけでごめんくださいませ〜

 

http://www.uresica.com/gallery.html#event

「おばあさん」

 金曜日から表参道のOPAギャラリーではじまった企画展に参加しています。「お」のつく言葉をテーマに25人のイラストレーターが「まじめ作品」と「あそび作品」を描いたり作ったりする展覧会でして、わたしの場合どちらもあそび的なものです。テーマは「おばあさん」にしました。(デザイナーのOさんが「あそび作品」をお買い上げくださいました。勢いで買ってしまって後悔してないかしら?)

日の出計画.

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あそび作品「おばあさん人形」

 

 

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まじめ作品「おばあさんの絵」

 

 先に見せちゃうと、ギャラリーに足を運んでもらえなくなってしまうかもしれないけれど、まだ25人分の作品があります。それぞれにおもしろいことやっていて楽しいです。台風一過の町散歩のついでに是非のぞいてみてください。

 

  で、なぜ、わたしは「おばあさん」をテーマにしたのか?

 テーマの締め切り日に「お」のつくものが思い浮かばず、このブログの文章を考えたりして、あら「おばあさん」があるわと気づいた、というだけです。ふふふ。

 すると、その数ヶ月後、文庫本の絵の依頼が来ました。昨今復刊ブームの獅子文六の小説。タイトルはスバリ「おばあさん」。なんだかわたしのところに「おばあさん」の波が来ているみたい、なんて思ったりして。

 

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 獅子文六著「おばあさん」

 

 

 さて、この企画展が終わると次の企画展がまた始まります。

西荻窪のウレシカにて「ペットショップへ行く前に展 2017」

【URESICA】ウレシカ(SHOP & GALLERY)展覧会情報・地図・

 今、必死にネコの絵を描いてます!

 

 そして、来月あたまにもネコの絵を描いて参加します。

銀座のASAGI ARTS

https://www.asagi-arts.com/pag

 

よろしくお願いします〜

 

お手上げだニャー

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 日曜日の夜は静かだ。何もない日も働いた日も遊んで帰る日も、それを感じる。みんなどこへ行ってしまったのか、歩いているひとが少ない。家族団らんなのか、明日の仕事の準備なのか、わたしの知らない暮らしがあるのだろう。思えば、サービス業の多かったわたしは日曜日もよく働いた。みなとみらいの高層ビルに通っていた頃は、賑わう観光客に混じって「動く歩道」の右側を足早にずんずん歩いて仕事に向かった。夜、仕事が終わりタイムカードを押して外に出ると、昼間いた元気なひとたちはすっかり消えていて、代わりに遊び疲れたり働き疲れたりした人たちが、だるそうに重い足取りで漂っており、その流れにわたしも合流していくのであった。そんな中、道をたずねられたり、頼まれてカメラのシャッターを押したりすることが度々あったけれど、ほとんどはアジアのひとで、お互いカタコトの英単語とスマイルで会話したものだ。そんなことを懐かしく思い出しながら、静かな日曜日の町を帰ってきた。

 

 などと、遠い昔の景色に浸っている理由はズバリ、書くことが…ない、のである。

 

 今日やるべきことを、メモ帳に書き出したら7つあったのだけれど、上から2つだけを赤線でひっぱってある状態で、う〜む計算どおりに進んでないなあ〜とカレンダーを見たら、しまった!今日は句会の日だった…と気づいたりして。かと言って仕事が忙しいというのではなくて、やるべきことが進まないという、なんともむなしい状況におります。ということで「お手上げだニャー万歳ネコ」の絵が今の気分、です。 

 

 ところで、花子さんは元気なのか?元気といえば元気ですよ。毎朝、クスリをたくさん飲んでます。わたしも飲ませ方がけっこう上達しました。

 

 

 

 

押し入れベッド

 

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 毎回、さて何を書こうか…と頭を悩ませております。だったら、更新しなくてもいいんじゃないのと思いながらも、なんとなく筋トレ気分で続けてます。

 

 

 

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とりあえず、ゼブラのマッキーや100均のツインマーカーを手に取ってみましょか。

 

 

 

 

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 おねがいドラえもん。ポケットからおもしろいネタをひとつ…

 

 

 

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 ドラえもんの寝床が押し入れってサイコーだよね。昭和生まれは一度はやったことあるんじゃないかな。わたしもこどもの頃に、ベッドが欲しすぎて、押し入れベッドで寝たことあるけれど、すごくうれしいのに、寝心地が全然快適じゃなくて、一度で満足したっけな。最近はこの押し入れベッドのおしゃれ版みたいなドミトリーが流行っていて、わたしも泊まったことあるけれど、やっぱりそんなに快適ではなかったかなあ。

 

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 平成の今、ネコの寝床は押し入れからクローゼットに。花子さんの場合はベッドに対する憧れというより、籠ってゆっくり寝たいという理由で、クローゼットで寝ているとおもうのだけど、服に毛がいっぱいつくので困りものです。

 

 

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 でもねえ、ぐうぐう気持ち良さそうだからねえ。仕方ないね。集中して睡眠。

 

 

 そうそう、押し入れといえば、こんなことがあった。

 小学生のわたしが、学校から帰ってひとりおやつを食べていると、押し入れがガタガタとはげしく揺れた。あまりの恐怖に固まっていると、ネコの鳴き声。「え?みいこなの?」と開けようするけれど、ずり落ちた布団が邪魔して開けられない。思い切って襖をはずしたらびっくり!みいこが鬼の形相で飛び出してきて、外へ出せと鳴き叫び窓から走って出て行った。

 

 

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 どうやら、母が布団をあげているときにもぐり込み、そのまま半日閉じ込められていたらしかった。相当暴れたようで、布団に粗相もしていた記憶。

 

 

 

     

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 ということで、押し入れの思い出話をして今日は終わります。また来週〜

 

おわり

 

 

 

 

 

ミーコのこと

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 声に出すとミーコだけど、小学生のわたしは作文では「みいこ」と書いている。今も心の中のミーコはやっぱり「みいこ」だ。ひとりっこで鍵っ子のわたしをなぐさめてくれたやさしいおばあさん猫。みいことの思い出が、わたしをハチワレ猫に執着させ、ついには花子という同じ柄の猫と暮らすことになったのだけど、性格は月とスッポン、みいこは実によく出来た猫であった。

 

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 と、思ったら、あら、なんだか人(猫)相がわるい。ははは。鼻のてっぺん黒かったのか。二枚しか残っていない写真のうち、一枚はピンぼけだから、これだけがちゃんと姿がわかる写真。久しぶりに見たけれど、頭の中ではもう少しかわいらしく補正されていたのね。

 実は、みいこは飼い猫ではなかった。小学校を卒業するまで住んでいた借家に、ちょくちょく顔を出していた老いねこで、よその家では違う名前で呼ばれていた。うちのエサが気に入ったのかよく来ていたのだ。 

 学校から帰って玄関の鍵を開けていると、どこからか走ってきてわたしの足にまとわりつき、冬はこたつに入って一緒に母の帰りを待った。夜は一緒に布団に入り、わたしが寝つくとそっと出て行った。近所の悪ガキに耳をひっぱられても、されるがままで大人しい穏やかなおばあさん猫だった。花子もそうなるかと期待したけれど、どうやら花子は花子のままで行くようだ。

 

 

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 ↑これは、お友だちのOさんが「花子さんにソックリだから」とお土産にくれたトランプ。本当だソックリ。ソックリさんは、あちこちにいるのだ。いるのだけれど、みいこと花子がまるで違うように、どの猫も違っていて、どの猫にもクセがある。そのクセが色々で猫はおもしろい。おばあさんのバリエーションも様々です。

 

 

 

薄れゆくもの

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 まだおばあさんではないけれど、わたしもそれなりに歳を重ねてきた。最近感じることは、こだわりがずいぶんなくなってきた、ということである。「これでなければ嫌だ」と思っていたことが、「まあ、それでもいいか」という気持ちの変化。ああ、わたしも老境に一歩近づいたかとおもわせる変化である。老いて薄れてゆくもの、執着心や記憶や恥じらい。これらは、のんきに生活していくために段々と薄れていくのかもしれないが、恥じらいがなくなるというはたいへん怖い。

 そんなことをなぜ思ったかというと、本妻花子さんと、愛人トラ子さん、この二匹が時同じくして、脱ぷんに対しての羞恥心をなくしているのを目撃したからである。

 ちょっと前までの花子さんは、脱ぷんする折には、トイレの砂をかき分けかき分け場所をつくり、後には懸命に砂をかけて隠そうとしていた。ところが、この頃では何のアクションもせずにシレッと済ませ、すぐに出てくる。恥じらいは一切ない。お尻の穴チェックもしない。用を足したことをすでに忘れてしまったかのようである。

 一方、トラ子さん。こちらは、いつも駆け寄ってきてあとを付いて来るのだけど、振り返ったら微動だにせずにわたしをにらみつけている。どうしたのかと、見ていると道の真ん中でいきなりの脱ぷん。「え?今?ここで?」済ませた自分のブツを見ることもなく、わたしに駆け寄ってくる。「ちょっと、ちょっと」と、わたしがそばにある草を引き抜き隠す有様。

 ああ、なんとしても羞恥心だけは最後まで薄れないでほしいものである。